2013年02月16日

認知症について思う

何日か前の朝、みのもんたさんが司会をしている情報番組の、ちょうど終わり頃だけをみました。
日本の認知症人口の増加と、認知症の方を受け入れる施設が圧倒的に足りないという内容のようでした。最後の2、3分を見ただけなので、定かではないのですが。
みのさんは、認知症の症状について話され、自宅で介護をしているそのご家族が、どんなに大変な思いや状況で介護をしているかについて、お話をされていました。
みのさんが間違っているわけでは全くなく、話している内容はひとつの真実です。メディアで報道されるときの、ある意味一般的な意見なのかもしれません。

徘徊をする方が、驚くほど早いスピードで歩いて追いつけない、踏み切りも気にしないでどんどん進むので危険、自分の排泄物をさわるのでその後片付けが大変など。
本当にそれはそうなんですね。
仕事柄、一生懸命介護をされているご家族を何度も拝見して、素晴しいと感じたことは1度や2度ではありません。

一方で、認知症の違う見方も色々とあります。

以前、参加をした勉強会で、ある作文を読んでもらったことがあります。小学生の子が、認知症のお祖父さんかお祖母さんについて書いたもので(ここはお祖父さんとします)、徘徊をしたお祖父さんのことを「おじいちゃんは冒険に出かけた。帰ってきたときは、ニコニコしていた」と書いた作文です。
その子が徘徊ではなく冒険と書いたことが、面白い。おじいちゃんのニコニコした顔を見て、その表現が自然に出てきたのかもしれません。私たちも、何となく気持ちがモヤモヤしたときなど、ちょっと外に出かけるだけでスッキリすることがありますよね。
自らの排泄物をさわることを、介護用語(?)で「弄便 ろうべん」と言ったりします。何だかすごい言葉です。
普通に考えて、下着に排泄してしまったら、気持ちが悪いし恥ずかしいし。とにかく気になるしイヤですよね。なのでさわってしまったりするのも、あることなんです。
このような行動は「問題行動」と呼ばれることもありますが、「周辺症状」の方がより的確な言葉でしょう。
認知症の「中核症状(記憶の障害など)」から派生する実際の症状、行動なので。問題を含んだ行動ではなく、単なる症状として捉えたときに、また違う見方ができるかもしれません。

上記に書いたことは、割と一般的な認知症に対する別の角度からの見方かもしれません。

で、更に更に別の見方をしてみると。
これは、あくまでも私の感じ、なので正しいのかはわかりませんが書いてみます。

実は、認知症になっても何ひとつ失っていないし、全部わかっているのではないか、ということです。
ただ、私たちとはインプットとアウトプットの方法が違っているので、的外れでワケがわからなかったり、異常な行動に見えたりする。
もしかしたら、見ること聴くこと感じること触れることなど(インプット)を、私たちよりもっと深く繊細に行っていて、核心に近いものが見えて聴こえているのかもしれません。
時々、ハッとするようなことをおっしゃったり、また、不快なときは、全身で「イヤー!!」と表現をされます。その表現のしかたも様々です。
そして、ありえないほど暖かく、美しい笑顔をされることもあります。

私たちよりも、ある意味「真実が見えている人なのかも」という視点を持つと、何だかまたひとつ、世界が広がるような気がするのです。


そしてまた一方で、実際の話として、認知症の方とそのご家族のサポートは、私たちが個人としても全体としても考えていくべき大切なことなので、忘れないでいきたいです。


昨日のことです。今働いている施設で、最近入居されたばかりの方が、夕方からお家に帰ると言って聞きません。劇的な環境の変化があったので、当たり前なのですが。
「家族が待っているから」と、バッグを持って帰ろうとするその方に「ご家族は今日はお留守なんですって。だから、○○さんをここにお泊めしてくださいねってご家族からも頼まれているんですよ」とお話をしたところ、「そんなウソを言って。わかっているのよ〜」と笑顔で言われてしまいました。「本当ですよ!」と、目をそらさずに、私も頑張りました。
ふう。やっぱりスルドイ気がする…。


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posted by みつこ at 16:17| Comment(0) | 介護の仕事やお年寄りの話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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